« interpreter of maladies | メイン | 夕焼け »

秋のせいかしら

最近思考が哲学モード

先日とある目的地に行くのに
オイラはAの行き方でずっとそこに行っていたのだけれど
ある人からBの行き方を聞いて
あ!そういう行き方もあったのかと発見
もうA!と思い込んでいたのでとても新鮮でした

その時ふと思ったのが
人生もそういうものなのかも知れないなあなんて
皆それぞれの目的に向かって生きている
いつか人生の終着を迎える
って事に違いはないけれど
それぞれ色んな考え方で色んな生き方で
そのどれを選ぶのかもみんなそれぞれで
そこに辿り着くのだなあ 

それからおばあちゃんが具合が悪いと聞いて
すぐにお見舞いに駆けつけられないので
お守りを作ったのですが
作ってる最中に
これはおばあちゃんの為に作っているけれど
実は自分の為でもあるなあって
その場に行けない気持ちを
他の行為をする事で自分も救っているというか

人は何かを人にしてあげる事
与える事
手を差し伸べる事
力になる事

それらは実は受ける方でなく
渡す方が実は与えられている事の方が多いのですね

親が子供を育てる事も
ボランティアで人を助ける事もきっとそう

与えよさらば与えられん

ね 秋のせいかしら

コメント (3)

りこち:

ふと、私も同じようなことを考えていました。
身近にだんだん体が動かなくなっていく病をもつ人がいるのですが、
その人のことを考え世話をしていくうちに、私自身が救われていくことに気づきました。

必死に助けを求めてくる人というのは、自身にとって神のような存在だとも思いました。

考え方や方法が違うにせよ、与えることによって与えられるものというのは、
とても尊いものと思います。

funky:

日本も秋になってきましたよ
秋のキキさんは違いますね

与えることは与えられること
そのことに気が付いた人は
たくさん幸せをもらえますね

おばあちゃん早くよくなるといいですね

KIKI:

りこちさん>

すごく素敵ですりこちさん
病気の方のお世話をするというのは
なかなか簡単な事ではないと思います
でもそれをりこちさんのような想いでされているのは素晴らしい事と思う
本当に与えられる事のよって与えられるものはとても尊い
その通りですね

ふあんきちさん>

ありがとうございます
本当に 与える事は与えられる事
まだまだ修行が足りませんが
もっともっと与えられる人に
なれるよう大きくなりたいです
がんばらにゃー

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年10月10日 00:37に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「interpreter of maladies」です。

次の投稿は「夕焼け」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。